もともとはEメールをチェックするコーヒーショップだったインターネットカフェ。そんな「ネカフェ」は時には海賊版の音楽が出回る場、ゲーム中毒者のホットスポット、ときには一時的な住宅としても機能してきました。そんな知られざるネカフェの歴史を米gizmodo記者のBryan Lufkinさんと紐解いてみましょう。
***インターネットカフェの誕生
「お茶とコンピューター:コーヒーハウスのサイバーパンクたちはラブと人生の意味を探している」。いったいなんだこれと思うかもしれませんが、1993年2月17日のワシントンポストに掲載された記事のタイトルなんです。
ライターのJohn Boudreauさんがトピックとして取りあげたのは、「Beatnik(アメリカ50年代の若者カルチャー)」を生んだボヘミアンカフェが、キーボードのある低いテーブルの並ぶコーヒーハウスに変身していること。さらに、コンピューターを通じてサンフランシスコとバークレーにあるほかのコーヒーハウスのお客さんとネットワークで繋がっていることなども解説しています。そういった場所には働きたくない人から物理学者まで多種多様な人が集まり、「SF Net」という新しいコミュニケーションの場が形成されていきました。もちろんこのころはインターネットといえば「電子掲示板」だった時代。
「SF Net」では異性ときゃっきゃする人がいたり、ショートストーリーを投稿する人がいたり、実存主義について議論を深めたり。もちろん実在しない人物になりきったりする人もいました。ワシントンポストの記事によると14世紀のローマ教皇として投稿している人もいたのだとか。
「SF Net」は1991年に当時35歳だったWayne Gregoriが設立しました。当時ベイエリアで900人のユーザーがいて、およそ半分がコーヒーハウスから接続していたそう。ちなみにコンピューターを使うには8分ごとに50セントを支払う必要があったとのこと。 キーボードにはちゃんとカバーがついているのでコーヒーをこぼしても無問題。インタビューに対してGregoriはこんなふうに話しています。
1994年にはデザイナーのIvan Popeがインターネットカフェのアイディアをもっともっと洗練させていくことになります。彼は従来のように付属するアメニティとしてインターネットを提供するのではなく、ネットにアクセスすること(そこでアートを閲覧すること)をコンセプトとしたカフェを提案しました。これはロンドンのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツのアートイベント「Towards the Aesthetics of the Future」にあたって依頼を受けたものだったそう。
そんなこんなでダイヤルアップ接続やフライングトースターの時代がやってくると同時に、イギリスの首都に世界ではじめてのインターネットカフェがオープンしました。その名も「Cyberia」。ふつうの人々が少しのお金でコンピューターからウェブの世界にアクセスできれば...という思いを込めて設立されました。そしてこういったインターネットカフェビジネスはお金をもっているCEOたちの注目を徐々に集めていくようになります。
1999年にはヨーロッパの格安航空会社「easy Jet」のCEOがイギリスでインターネットカフェチェーン「easyEverything」をオープンします。フラッグシップ店はロンドン中心のヴィクトリア駅に位置し、店内はおよそ929平方メートルで400ものスクリーンが用意されていました。1時間のインターネット利用料金はおよそ1.6ドル(196円)。
インターネットカフェのアイディアは2000年にニューヨークのタイムズスクエアにも輸出されていきます。とはいえ、ネットに接続するため「だけ」にどこかに行くというのはすでに古くさいことになっていました。家からネットにアクセスするのがふつうになっていたからです。そしてここからインターネットカフェはどんどん進化していくことになります。
タイムズスクエアに登場したインターネットカフェは800ものパソコンを備え、ギネスにも登録されました。写真は2000年11月28日のもの。Photo by Chris Hondros/Newsmakers via Getty海賊たちの場所
フランネルシャツを着た90年代のヒップスターたちによって軌道に乗ったインターネットカフェ。ここからは無料の映画や音楽を手にいれようとする「海賊」たちによって次なる発展を遂げていくことになります。20世紀が終わろうとするころ、ファイル共有ソフト「Napster」の人気が高まると、人びとはMP3ファイルを求めてインターネットカフェに集まってきます。
2000年のはじめeasy Jet社のインターネットカフェチェーンは、5ユーロ(およそ650円)くらいでインターネットから取得した音楽をCDにコピーできるプロモーションを展開していたりしました。もちろんこれはレコード会社にとっては大問題。ソニーミュージックやユニバーサールミュージック、EMIは18ヶ月にわたる訴訟バトルを繰り広げ、2003年1月にeasy Jetは著作権違反で敗訴となってしまいます。
同じころにメキシコのインターネットカフェでも、海賊版がはんらんしていたといいます。2000年頃には、違法なソフトウェアのCD-ROMをふつうに街で買うことができたそう。小売業者はWiredのインタビューに対して「みんなここに来るよ。小さな子供はドラゴンボールを買っていくし、おばあさんはEncarta 2000を買っていくね。」とキッパリ。こんなことが続いていたところ、警察がインターネットカフェを取りしまるようになっていきます。さらにコンピューター内のソフトウェアを確認したり、マイクロソフトのソフトウェアについては領収書をチェックしようとしていました。
しかし、海賊版を操作するのは今よりもっと難しかった時代。とくに発展途上国のインターネットカフェならなおさらです。2006年にメキシコ人の3分の1はインターネットカフェを利用しており、ひとつのコンピューターを複数の人が交代で使います。そんな状態で海賊行為をひとつ残らず潰していくのはカンタンではありません。
そんななか、オーストラリアでは2008年にインターネットカフェへの大規模な手入れがあり、シドニーのインターネットカフェは82000ドルもの罰金、著作権に関する40もの罪で起訴されてしまいます。60ものコンピューターと3台のサーバーは没収。コンピューターに残っていた海賊版の音楽、テレビ、映画のデータは8TBにのぼったといいます。結局この会社はすべての罪状で有罪となってしまいました。
近年、海賊版にたいしての罰則はますます厳しくなっています。たとえばオーストラリアでは、お客さんが海賊行為に利用したインターネットカフェは60000ドル(およそ735万円)を超える罰金を払う必要があるのだとか。
海賊行為の温床となってしまうとインターネットカフェはどんどん衰退してしまうのでは...?なんて思えてくるかもしれませんが、実はそうでもありませんでした。というのもインターネットカフェを訪れる目的がだんだんと変容していったからです。ただEメールをチェックしたりネットを利用するだけでなく、いくつかの国では新たな文化を生む土壌となっていくのでした。
Game Denのはじまり
インターネットに対する需要はどんどん高まっていくものの、世界には家庭からネットにアクセスできない人がたくさん。そこで登場してきたのがインターネットカフェ。ちなみに2011年には35万件ものインターネットカフェがアジア地域にあったといいます。とくに中国や韓国のような国ではゲーマーたちのおかげでインターネットカフェは大繁盛。ゲーマーさまさまだったわけです。
Peartl Reseachによると、2011年のアジア地域(東アジアと東南アジア5カ国)におけるインターネットカフェの収益は、およそ190億ドルだったとのこと。さらに韓国では82パーセントの人たちが自宅にパソコンを所有しているにもかかわらず、マルチプレイヤーオンラインゲームのためにインターネットカフェを利用する人がいたようです。
この熱狂のきっかけといわれるのが、20年も前にBlizzard Entertainment社がリリースした「Star Craft」。韓国で人々の心をがっつり掴んだSF系ミリタリーRTSゲームのおかげで、すさまじい数の人がゲームのためにインターネットカフェ(韓国では「PC bands」とも呼ばれる)に通うようになります。自宅にパソコンがあったとしても、「PC bangs」に行ったほうがゲームに特化した高性能なマシンで遊ぶことができたのでした。
「PC bangs」は2007年の時点で22000件も存在しているとされています。お客さんは1時間およそ1ドルを支払えば、スナックを買ったりしつつ、さくさく動作する高性能マシンで高速インターネットを楽しめるわけです。
ここで問題となってきたのがゲーム依存症の問題。すべての時間とお金をPCゲームに捧げ、日常がおろそかになってしまう。2011年に韓国は16歳以下の人は深夜0時から翌日朝6時までネットカフェの出入りを禁止すると発表しました。
もちろんインターネットカフェは東アジア全体に広がっていきます。中国は90年代から00年代にかけて韓国と同じくオンラインゲームによって、インターネットカフェの売り上げがうなぎのぼりに。ただし2002年には10代の少年がネットカフェに火をつけ、24人が死亡するという痛ましい事件が発生。政府はインターネットカフェを厳しく規制するようになっていきます。
中国の武漢にあるインターネットカフェ。じっとスクリーンを見つめビデオゲームをプレイする若い中国人男性 Credit: Cancan Chu/Getty Imagesいっぽう海をわたった日本のインターネットカフェは、他の国に比べてよりプライベートな空間として発展していきました。パソコンを備えた小さな個室には居心地のよい椅子が備え付けられ、飲み放題ドリンクや読み放題の漫画を楽しむことができます。
日本ではここ10年でネットカフェに住みつづける人も出てきました。Bloombergいわく、およそ6万900人がインターネットカフェで一夜を過ごしたことがあると2007年に日本の厚生労働省が報告しているとのこと。とはいえ日本のインターネットカフェにはちゃんと仮眠エリアが設けられていたり、ブースのなかに椅子ではなくベッドが設置してあったり。ふつうに一泊するにはそこまで抵抗は感じないはず。ただその6万900人のうち、インターネットカフェに定住している人の数はおよそ5400人。彼らはいわゆる「ネットカフェ難民」に属するのです。
一晩過ごすのに必要なのはおよそ15ドル(1838円)。ホテルよりもマンスリーホテルよりも安い寝床は、お金のない独身やカップルにとって一時的な住居として立派に機能しているようでした。
Japan's Disposable Workers: Net Cafe Refugees from MediaStorm on Vimeo.
さらにインターネットカフェは奇妙なニュースが生まれる場でもあります。今年はじめに台湾の店内で男性が死亡、死因は3日間ぶっつづけでゲームをしていたこと。また中国では26歳の女性がトイレの個室で出産をしたという驚きのニュースも届きました。
とはいえ、いくらゲーマーがいようと、一時的な住居を求める人がいようと、インターネットカフェの利益はこのところ下降しつつあります。この6年で中国では政府の規制が強化され、少なくとも13万件のネットカフェが閉店したのだとか。その理由はインターネットカフェが18歳以下のユーザーを堕落に導いているというもの。
もうひとつ人気が下落するきっかけとなったのが携帯電話でした。
インターネットカフェの未来やいかに
マイクロソフトやグーグル、アップルたちは世界中の人にインターネットを提供しようと尽力しています。ということは、ネットにアクセスできない人の取りうる選択肢が、インターネットカフェだけではなくなってきたということ。
たとえばナイジェリアではアクティブなモバイルウェブユーザーは2013年3月の3000万人から2015年2月には9000万人となっています。ネットに繋がった携帯電話が普及すると、インターネットカフェはそこまで必要ではなくなってしまいます。
こうして市場は縮小しつつあり世界中で続々と閉店されています。Quartzの記事によるとタイやインド、ルワンダ、中国や韓国でもネットカフェの数は減ってきているとのこと。
ただし、インターネットカフェが「ネット環境を提供する」だけの場ではなく、複数の機能をそなえていたことを考えると、単純に「廃れていく」とバッサリ切り捨てることはできないのかもしれません。
今年のはじめにコロラド州の警察は、インターネットカフェでギャンブルの法律の抜け道として利用されていると発表しました。4月には5箇所が閉店され、そのうち2つの店舗は再開しています。コロラド州ではポーカーのようなスキルを競うゲームではなくスロットマシンやギャンブルは禁止されています。そのため、ギャンブルについて店先に表記しない、もしくは「certified skill games(認可されたスキルゲーム)」とだけ掲げるお店もあったようです。
これもひとつのインターネットカフェの未来なのかもしれません。近頃のオンラインギャンブルルームはニルヴァーナに夢中なベイエリアのサイバーパンクたちが電子掲示板に書き込んでいた時代とは違ったものになっているようです。
もちろん少し明るいニュースにインターネットカフェが登場することもあります。たとえば先月には中東からの難民向けのインターネットカフェが、パキスタンの弁護士によって設立されたとNPRが報じています。カフェはヨーロッパの国境沿いの道路あたりにあり、英会話学習、温かい食事、テレフォンカード、スカイプ通話などのサービスが提供されているといいます。
インターネットの進化に応じて、人々がどうネットと関わるのかもどんどん変化していきます。インターネットカフェは形を変えてずっと存在しつづけるのかもしれません。格安スマホにスタバの無料wifiがある時代。それでもネットカフェを使う人がいるというのはなんだか人間らしいなあと思わずにはいられません。
Top image by Cancan Chu/Getty Images
Bryan Lufkin - Gizmodo US [原文]
(Haruka Mukai)