最近、思い出せないことが多すぎて...
生きることは忘れること。口座番号、先日あった人の名前、鍵や財布を置いた場所、子供の頃の友達、テレビ番組のキャラクター、内輪の冗談、過去の野望、歴史...数えきれないくらい私たちはいろんなことをすぐ忘れてしまいます。でもどうしてこんな風に忘れてしまうんでしょうか。神経科学と心理学の先生たちに聞いてみました。
脳の場所によって記憶の衰退か干渉が起こる
Talya Sadeh助教授 ネゲヴ・ベン=グリオン大学 脳・認知科学助教授、記憶・忘却ラボ代表
一度覚えたことをどうして忘れてしまうのか。これに関して、科学者たちは二つの可能性があると考えてきました。まず一つ目は、忘れるということは色が褪せていくのと同じように起こるということ。記憶も時をかけて衰退していくものなのです。二つ目は、似た記憶同志が干渉するということです。簡単に言うと、同じ日に何人も初対面の人に会うと、その中の何人かの顔を忘れてしまいます。なぜなら顔の記憶がごっちゃになるからです。
最近の科学的証拠では、忘れるというのは記憶を支える脳の場所によって記憶の衰退か干渉が起こることが原因だと示されています。記憶の重要な構造である海馬は、似た記憶を区別できるという特異的性質を持っています。なので、海馬にファイルされる記憶は他の記憶と干渉されるということがないのです。しかし記憶の衰退はすぐに起こります。また記憶を支える別の部分である嗅周皮質は、似た記憶を区別する能力が高くありません。よってここにファイルされる記憶は他の記憶とごちゃ混ぜになってしまうのです。
忘れる理由はおそらく記憶の干渉
Nicole Long バージニア大学 心理学助教授、長期記憶ラボ代表
なぜ、ある体験は記憶に残り、他はだんだん消えていくのかは心理学、認知学、神経学でずっと研究されてきていることです。体験を忘れてしまうのには、いくつかの理由があります。
誰かを紹介されて挨拶した後すぐに、その人の名前を忘れてしまうことがよくあります。こういうタイプは、ほとんど不注意によるものです。私たちは紹介の「手順」に慣れ過ぎてしまっているため、紹介が始まると名前を言う前であったとしてもスイッチがオフになってしまったり、注意がそれたりしてしまうのです。ですので、初対面の人の名前を聞いたらすぐに名前を繰り返して言ってみたりすると、注意を向けることができますし、あとで覚えておくことができるのでおすすめです。
では、車を駐めた場所を忘れてしまうのはなぜなのでしょう。その理由はおそらく記憶の干渉でしょう。毎日いつもの駐車場へ行って車を停めていたとしたら、日によって空いているスペースは違いますよね。脳は、車と場所という「関連付け」を作り出します。車のことを考えると、脳は過去のその場所との繋がりの記憶を引っ張り出してきます。その後、引っ張り出されてきた過去の記憶の中から正しいものを選んでいくのです。このプロセスはなかなか難しいもので、車を最初に停めた場所をしっかり意識して覚えておかないと、初対面の人の名前の例のようにスッと忘れてしまうのです。もし最初に「関連付け」をしなければ、記憶から引っ張り出されることもありません。
最後に、なぜ昔は知っていたことを忘れてしまうのかということ。たとえば小学校の時テストのために覚えたことなど、今は思い出せませんよね。元々の記憶が失くなってしまったのか、その記憶にたどり着けないだけなのか。もしかしたら小学校4年生の時の先生のことは忘れてしまているかもしれませんが、小学校を実際に訪れてみると思い出すかもしれません。脳のどこかに記憶はちゃんとあるのに、それにたどり着くための情報がうまく使えていないだけということもあります。
人生での経験をすべてひとつひとつ記憶できるといいこともあると思いますが、研究によると忘れるというのも実は有益なことなんだそうです。たとえば、もしいつも停めていた駐車場が建て替えで高層の立体駐車場に変わってしまったとします。すると、今までの車・場所の関連付けはもう必要失くなってしまい、その過去の関連付けは、車と新しい場所という関連付けの作業にとって邪魔になってしまうだけです。なので、忘れるという行為は私たちに柔軟性を与えてくれるいいことでもあるのです。
記憶のシステムがどう働いているかということが鍵
Lila Davachi ニューヨーク大学 心理学助教授、Davachi Memory Lab代表
どうして忘れるかというのは、間違った質問だと思います。この質問の唯一の答えは、「どうして覚えているのか」ということです。どうして覚えているのかということをすべて理解できれば、どうして忘れるかも理解できるからです。
しかし忘れるということは記憶の中でもっとも効果があることの一つだという事実から始めましょう。私たちは毎日起こる事のほとんどを忘れてしまいます。忘れるということは結構簡単なことです。場所、物、色、音、名前、色々なことを忘れてしまいます。丸一日、そして何年もの記憶を思い出すことができないこともあります。なぜでしょう?
私は、記憶のシステムがどう働いているかということが鍵に違いないと思っています。忘れるというのは、適応性ということだと思っています。忘れるのはいい事だという論説がたくさんありますが、脳には全ての経験を記憶しておくほどのスペースがないため、一番重要なものや将来必要になるものだけを保存しておこうとうするからではないでしょうか。これは感情的な出来事が普通の出来事よりも記憶に残ることの説明がつきます。こういう出来事を記憶してくと、将来、有益な方向へいくために使えますし、危ないところを避けるということにも使えるからです。
もし全部を記憶できるほどのスペースが脳にあったとしましょう。全部記憶しておく意味ってあるのでしょうか? 昨日の買い物リストに書いたこと全て覚えておくことって必要でしょうか? 30日前のことは? 私たちは毎日色々なことを体験しますが、直近で重要ではないと判断されたものは、脳が捨ててしまうのです。
脳が長期間記憶を保っておくことができることは、何度も何度も同じことを繰り返す経験。最初の就職先への通勤路や大学への道、または子供の頃住んでいた家の中なども思い出せるでしょう。何十回、何百回と繰り返された経験は、脳が記憶を引っ張り出してきやすいのです。ではどうして詳細でまれな記憶がすぐ失くなってしまったりするのでしょうか。その質問は、また最初に言った事に戻ってしまうんですよね...。
新しい情報が過去の経験と干渉している
Jason Ozubko ニューヨーク州立大学 心理学助教授
どうして忘れてしまうかということの大きな理由は、新しい情報が過去の経験と干渉してしまうという現象のせいです。
たとえば、好きなテレビ番組の1話目を見るとします。放送が終わる前までは番組内で何が起こったかをたくさん覚えていますが、見終わってすぐに2話目を見ると1話目の内容の記憶が低下していきます。それは脳が2話目を符号化していくときに1話目とオーバーラップして干渉を起こしてしまうからです。
脳は新しい情報があると、古いすでにある情報の上に覆い被せようとします。これは効率のいいことで、古いものの中に新しい経験を読み込もうとすると、どうしても古い情報の上に新しい情報を載せてしまうからです。しかしその覆い被さられた古い情報を忘れてしまうということも起こるのです。
繰り返しの練習はすべてにおいて重要な要素です。どうして記憶していたことを忘れてしまうのか、何が記憶を忘れていいものにしてしまうのか、これはどれだけよく練習をしたかということに関係があります。たとえば、さっきのテレビ番組を2話目を見る前に1話目を5回連続で見たとしましょう。するともっと記憶が強くなります。
忘れることは悪いことだとは限りません。私たちには忘れたいこともあります。ある研究では、人間は自分に不要なことは繰り返しの練習なしで、故意的に忘れていくことができると証明されています。なにか覚えていたくないことを経験した場合、それについて考えないようにすると、繰り返しの練習をすることにならないので、だんだん他の情報の干渉で忘れてしまうのです。
記憶にアクセスしようとして失敗した状態
Eda Mizrak カリフォルニア大学デービス校Dynamic Memory Lab博士研究員
忘れることのひとつの理由は、記憶の中からその情報にアクセスしようとして、失敗するということです。たとえば、Eメールのパスワードを思い出したいけれどアクセスできないという状態。その場合、記憶の中から「パスワード」という指示を出します。これによって目標となる情報(正しいパスワード)だけでなく目標とは違う情報、たとえば古いパスワードなどまで探し始めてしまいます。こうして、検索プロセスでパスワード候補がいくつか上がってきます。そのうちの一つを選ばなくてはいけません。選択のプロセスで、パスワード候補たちは競争を始めます。そして最後にひとつが選ばれるわけです。もしこれが正しい候補ではなかった場合、目標の情報を引き出すのに失敗したということになります。「パスワードをお忘れですか?」状態です。
こういう引き出しの失敗は、引き出したい情報が他の情報と干渉してしまっているから起こるのです。これはパスワードを新しいものにリセットするときに特に起こることです。パスワードという指示と古いパスワードは新しいパスワードよりも強い繋がりを持っているために、古いパスワードが強い候補として浮上してきてしまうからです。
私の研究では、感情的な記憶はニュートラルな記憶と比べてどのように干渉され忘れられていくのかを調査しています。忘れるというメカニズム自体は、感情的な記憶もニュートラルな記憶も似ていますが、感情的な記憶については干渉が少なく忘れることも少ないことがわかりました。たとえば、2016年のアメリカの大統領選のような感情的な記憶は忘れにくいものです。なぜなら他に競争する記憶がないからです。他に競争させる記憶を作り出すことも不可能ということもあります。
しかし、昨日車を停めた場所を思い出そうとすると...忘れてますよね。何百もの記憶が競争してくるからです。まとめると、忘れるということは記憶同士の干渉によって起こり、独特な記憶であれば忘れれにくくなるということです。
情報が衰退した、または他の記憶と干渉した
Jerry Fisher ノートルダム大学 認知・脳・行動学大学院生
この質問は認識的または心理学的視点から答えることができます。まず、読者のみなさんは忘れるということは適応できるということを心に留めておいていただきたいです。関係のない情報を忘れることは重要なのです、そうでないと記憶のシステムが詰まってしまいますからね。
認識的に忘れるいうことは、記憶の中から情報が衰退した、または他の競合する記憶と干渉したかのどちらかです。
干渉の仮説については、記憶の研究者たちが記憶は存在するのか、それともアクセスできるのかで分けようとしています。たとえば、ある言葉が出かかっているのにどうしても出てこないような状況が前者の「存在するのか」で、「アクセスできるのか」については、昔に通っていた高校へ行って自分が使っていたロッカーを見て急に色々な記憶が蘇ってくるような状況です。干渉の観点からは、そういった昔の記憶はどこかに埋もれていて、またアクセスできるようになるということです。
生理学的には、シナプスの可塑性の仮説でよく使われるフレーズ「共に発火すれば、共に繋がる」が有力な説明でしょう。神経回路では頻繁に強く信号が来るシナプスは、その結合が強くなり、忘れるということは信号があまり来ないシナプスでその結合が弱くなっているということです。新しい記憶のほとんどは海馬にファイルされると考えられています。しかしその情報はだんだん皮質領域の方へ移っていきます。その移動で元々の情報が忘れられていくのだろうと考えられています。
刺激や興奮で記憶が消えるパターンも
Adam Zeman エクセター大学 認知・行動神経学教授
私たちがなぜ忘れるかという理由はたくさんあります。ひとつは、認識、記憶形成、保存、回復という「記憶のプロセス」にあると考えるのが良いでしょう。認識の失敗が忘れる大きな理由です。たとえば、パートナーに何かを頼まれて、それを忘れてしまったとしましょう。それはまずちゃんと聞いてなかったことが原因なんです! これは歯を磨くなどの日々の平凡なことを忘れてしまうことにも説明がつきますね。
しかし、記憶の形成は複雑なプロセスです。何秒から何時間とかかっていく作業です。短い間隔で起こる記憶はシナプスの結合の強度を変化させます。そして時間が経つとその情報は脳の中を移動していくのです。このプロセスは強く頭を打つなどのことで劇的に崩壊してしまいます。頭を打つ直前に起こった「もろい」記憶は失ってしまいやすいのです。また感情的に重要だった記憶より、重要ではない、強い結合のない体験の記憶は自然に衰退し、忘れられやすいのです。
しかし、強い結合のある記憶でも忘れられてしまうこともあります。てんかん持ちで記憶を失ってしまう人たちの研究をしたことがあるのですが、彼らの場合、てんかん発作で起こる電気的興奮で記憶が消されてしまうようです。一般的に、私たちは一過性で記憶を失ってしまうようです。なぜならその記憶がどこにあるのかわからなくなってしまうから。引っ張り出しに失敗してしまうのです。これについては、その記憶を引き上げるための正しいきっかけや手がかりさえ見つけることができれば克服できます。最後に、私たちが忘れてしまうのは、忘れようと決めたからです。指示忘却という驚くべき現象です。それに関しては理由があるんですが...でも忘れてしまいました。
みなさんだいたい同じような答えでしたね。そして忘れることは悪いことではない、と口をそろえて言っていただけて少しホッとしました。