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PC-8001はこうして生まれた!生みの親 後藤富雄氏と加藤明氏にPasocomMini仕掛け人 三津原氏が聞いた!

沿って mobilephones 24/05/2022 959 ビュー

まずMTK-80、そしてTK-80があった

三津原敏パソコンミニシリーズアドバイザー。PasocomMiniプロジェクトの仕掛け人としてパソコン、マイコン黎明期のレジェンド達と日々接しているが、今回の対談は、ひときわ緊張したそうだ

[編集部]:まずは、お二人がマイコン開発に至るまでの経緯を教えてください。

[後藤氏]:半導体黎明期の、昭和42年にNECに入社しました。配属先は電子デバイスグループという、コンデンサからトランジスタまで作っている事業グループ。その設備部で、計測装置を設計調達する部隊です。そこで6年くらい経ったところで、九州日本電気に派遣されました。しかし、赴任して2年目くらいにオイルショックがありまして、仕事が徐々に入ってこなくなり……一時期は、草むしりみたいなことまでやっていました(笑)。<17時を過ぎて就業時間が終わると、Intelのマイクロプロセッサ4004を使ったキットで実験をしていました。高速のテープパンチャーとテープリーダーを作って動かしていたのです。4bitでも、ちゃんとやってくれるんですよ。すると、「今度マイクロプロセッサ8080というのを作って事業をやるが、アプリケーションを作るエンジニアがいないので帰ってこないか?」と(元NEC支配人で、パソコン事業立ち上げの責任者だった)渡辺和也さんから声をかけられて、東京に戻りました。

後藤富雄氏。TK-80をはじめ、PC-8001やPC-8801、PC-100、PCエンジンなどを手掛けた人物。PC-8001では、開発リーダーを務める

[編集部]:加藤さんは?

[加藤氏]:私は昭和50年にNECに入社しました。ちょうどオイルショック直後くらいで、入社後1カ月は会社に来なくてよい。自宅待機で、と言われました。仕事がないので、1カ月給料を払えないからだそうで。通常、入社は4月1日なのに、私は4月30日でした(笑)。マイコンとの出会いは、大学の卒業研究のときです。研究は全然別でしたが、たまたま教授が(Intelのマイクロプロセッサ)8008の評価ボードとASR-33というテレタイプを購入し、これをつないで何か動かしたいからやってくれと言われたのがきっかけです。マニュアルは、英文で書かれたものだけ。プログラムを眺め、試行錯誤するとASR-33がガチャンと動く。ある意味、高いおもちゃだな、と思いつつ半年くらい触っていました。

加藤明氏。TK-80やPC-8001、PC-8801の開発を行なう。後に、PC-9821シリーズの開発などにも携わった

[三津原氏]:それがきっかけでNECに?

[加藤氏]:そういうわけではないのです。NECを志望したのは、実は大型コンピュータがやりたかったからです。でも入社して配属されたのが、後藤さんと同じ半導体事業部。そこの選択肢の一つにマイクロプロセッサがあり、これは学生時代に遊んだアレでは?

[後藤氏]:その前に、まずはこっちからいきましょう。

後藤氏が“こっちから”と言って見せてくれたのは、TK-80の前身となったハード。名前はMTK-80で、正式名称は「マイクロコンピュータトレーニングキット80」。TK-80と比べると二回りほど小さく、縦に積んであるのが分かる

[加藤氏]:MTK-80は私が入社して半年くらいに、営業から「電電公社横須賀通信研究所(横須賀通研)から新入社員用に、マイコンの教材を作ってくれ」という引き合いがありまして、後藤さんと私が二人で命を受けて作り始めたものです。私は右も左分からない状態でしたが、そこは後藤さんがすごい。こういうことをやればキーが動くとか、LEDで16進が表示できるとか、そういうアイディアを……。

[後藤氏]:僕は、それだけを言うんですよ。すると、加藤さんがものにしてくれる。当時、海の向こうで出ていたBYTE誌とかの雑誌を読んでると、(マイクロプロセッサ6502のキット)KIM-1の広告が出ている。見ると、LED表示がアドレスが四つでデータが二つの6桁。しかも、プログラムが走り始めると表示が消えるので、どうなっているかが分からない。われわれは、開発ツールに変わるものをやらなきゃいかんねということで、単体でも動くし、プログラムが暴走してもLEDは点灯していることなどを自分たちで決めてやりました。

[三津原氏]:設計は後藤さん、製作は加藤さんなのでしょうか?

[後藤氏]:コンセプトは後藤さんが考えています。私はNECに入社後、勉強しながら評価ボードのマイクロプロセッサ8080版の開発を一時期やっていたのですが、その財産を後藤さんのアーキテクチャと組み合わせて作業したので、意外と早くこの形ができました。

[三津原氏]:脳内になんとなくあった?

[加藤氏]:そうそう、そうです。すんなり動いたし、一番めんどうなキーボードの考え方や表示のスキャニングなどは後藤さんのアイディアがあったので、これを回路に落とせば問題ないと。

PC-8001はこうして生まれた!生みの親 後藤富雄氏と加藤明氏にPasocomMini仕掛け人 三津原氏が聞いた!

[三津原氏]:必要なプログラムも加藤さんが?

[加藤氏]:私がモニタを書いたのですが、実は容量に収まらなくなりまして。それを圧縮するヤツがいて、彼が職人技でギュッと縮めて、この3チップに入れてくれました。

[後藤氏]:当時から省メモリ化。メモリは貴重だったんだよね(笑)。

[加藤氏]:1バイト削るとか、そういう積み重ねですね。なにせ、756バイトしか載っていませんから。これに、当時の8bitマイコンが持っている機能が、全部入っているわけです。通常のメモリアクセスだったりROMアクセスだったり、DMAやっていたり割り込みがあったり。教材としては、よい感じです。

[三津原氏]:当時の納品台数は、どのくらいでした?

[加藤氏]:後藤さんの記憶では3台か4台、私の記憶だと10台くらいはセットを作ったかなと。全部を横須賀通研に納めたわけではなく、また横須賀通研も通研として全部買ったのではなく、一研究室のアイディアでの注文でした。そしてMTK-80も、実は組み立てキットだったんですよ。私たちで、部品を袋詰めして収めました。

[三津原氏]:その数少ない台数のために、説明書を書いたんですね。

[加藤氏]:方眼紙にロジックテンプレートを描きました。ちなみに、PC-8801でも手描きです。

[三津原氏]:MTK-80完成後、これを製品化しましょうということでできたのが、TK-80なのですか?

[加藤氏]:そうそう。TK-80は、回路図もMTK-80とほぼ同じです。

[後藤氏]:私がスケッチで“CPUはここ”とか1枚のイメージ図を、相模原のプリント盤の事業部に「お願い、配置して!」と頼んでできたのが、TK-80です。

[編集部]:これは何層基板なのですか?

[加藤氏]:表と裏の2層です。

[編集部]:拡張性も残して作られていますよね。

[加藤氏]:ここのエリア(基板の四角くスペースが空いている部分)が拡張エリアになっていますが、これはたまたま空いたんですよ。もったいないから、ここに汎用ポートが出ています。いろんな人がインターフェースを組んでいたので、結構重宝されたと思います。

[後藤氏]:後で反省したのは、ラズベリーパイのように、スタンディングにしておけばよかったかなと。

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