90年代後半になると、人々のコミュニケーションツールの主体としてメールが、そして2000年代からはSNSが台頭し始めた。これは現在も定着しているツールでありカルチャーであるから、インターネットの歴史においてやはり大きな出来事だった。思えば、僕が初めてアメリカとやり取りしていた80年代当時は、まだFAXですらなく、テレックスの時代であった。テレックスとは電話の技術を用いた記録通信方式で、紙テープに伝送文を打ち込むもの。文字数を極力抑える必要があることから、この時に欧文の略語がたくさん生まれた。たとえば「Thank you」は「THX」、「By the way」は「BTW」といった具合だ。そんな時代と比較すれば、メールの登場は革新的だった。なにしろアタッチメントファイル(添付ファイル)として、そこそこのサイズの書類が瞬時に送受信できるのだから、これは僕たちの仕事のやり方を大きくアップデートさせてくれたものである。
メールの台頭で文化が大きくアップデートした90年代
それまではメーカーに納めるデリバリーアイテムを、わざわざ飛行機に乗ってアメリカまで引き取りに行かねばならないこともあったほどだ。朝の10時に向こうに着いて、会議を一つこなし、ICを1枚持って13時のフライトでとんぼ返りする…などということが日常茶飯事だった。当時の伝送速度では、そのICに収まっているデータをネットでダウンロードしようと思うと優に2~3日を要したから、それでも直接、現地から手荷物で集配した方が速かったのだ。また、時系列的には前後するが、SNSの恩恵を僕が本当の意味で実感したのは、2014年に脳梗塞で倒れた時だった。一時的に半身麻痺の状態に陥ってしまった僕は、病床から片手でスマホをいじり、Twitterで自分の状況を投稿してみた。すると、いろんな人から温かいメッセージが続々と寄せられた。単に「頑張ってください」という激励もあれば、「私の母はこんなリハビリを続けてここまで回復しましたよ」という助言もあり、心からありがたく思ったものだ。脳梗塞が起きた部位からすると、今こうして元気に生きていられるのは奇跡と言っていい。三途の川のほとりまで到達しながらドリフトターンで帰ってきた気分で、SNSの存在は間違いなくその原動力だった。従来の1対1のコミュニケーションではなく、まだ見ぬ面識のない大勢の人と対話ができたり、あるいはしばらく縁のなかった古い友人とあらためて接点が持てたり、さらには人それぞれが擁する知見をかき集めて集合知にできることは、SNSがもたらした大きなカルチャーだろう。
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